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東京高等裁判所 昭和55年(う)986号 判決

被告人 甲野一郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中三〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石川才顕、同露木章也、同加藤義樹が連名で提出した控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事今野健の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。

控訴趣意第一について

所論は、被告人は原審における公判審理、とりわけ事実審理の途中まで未成年者であつたものであるから、原裁判所としては、刑訴規則二七七条の要請するところに従い、職権で家庭裁判所から少年調査記録を取り寄せてこれを取り調べるか、少なくとも検察官に対しその取調を請求するよう促すべき義務があつたにもかかわらず、原裁判所がそのことに思いをいたすことなく漫然結審して判決を言渡したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな審理不尽であり、重大な訴訟手続の法令違反に該当するというのである。

しかしながら、刑訴規則二七七条が「家庭裁判所の取り調べた証拠は、つとめてこれを取り調べるようにしなければならない。」と規定しているところによつて自ら推知できるように、右規定は、少年事件の審理を担当する裁判官に対する事件処理上の訓示規定と解するのが相当であるから、右規定の故に裁判所は少年事件の審理について職権で右証拠を取り調べ、あるいは当事者に対してその取調を請求するよう促す義務を負うものではなく、また、裁判所がそのような措置をとらなかつたからといつて、直ちに裁判所に審理義務違反としての審理不尽があるとはいえず、これをもつてその訴訟手続に法令違反があるということもできないのであつて、論旨は理由がない。

控訴趣意第二について

所論は、道路交通法六八条所定のいわゆる共同危険行為等は、同条の立法趣旨からみて社会公共の利益に対する具体的危険犯であるから、同一の日時、場所または近接した日時、場所における数回に及ぶ共同危険行為等は、直接の加害対象が別個の車両または歩行者であつても、包括して一個の構成要件該当評価を受ける接続犯に過ぎず、したがつて、犯行の日時、場所が近接していることはもとより、動機づけの点で共通性を有し、単一の可罰的行状として一個の人格態度の発現と認められる原判示第一及び第二の各犯行は、接続犯的な包括一罪を構成するものであるとみるべきにもかかわらず、原判決がこれを二罪と評価し併合罪として処理したのは、罪数評価に関する実体法適用の誤りを犯したものというほかなく、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで検討するのに、道路交通法六八条所定のいわゆる共同危険行為等の罪の保護法益が、道路における交通の安全という社会公共の利益であることは所論指摘のとおりであると解せられるが、原審で取り調べた須藤恭光の検察官に対する供述調書の謄本二通及び司法警察員作成の昭和五四年一〇月一一日付実況見分調書の謄本などによると、被告人を含む「毘沙門天」を名乗るいわゆる暴走族の一団は、原判示の日の午前一時ころ駒沢公園を出発し、無謀な運転をしながら読売ランド方向に向かつて進行し、原判示第一の現場で約一四〇メートルの区間にわたつて同判示の共同危険行為をし、その後同所から約二、二七〇メートル進行した原判示第二の現場で再び約九〇メートルの区間にわたつて同判示の共同危険行為に及んだことが明らかであつて、被告人らはそれぞれの場所における道路の交通に著しく危険を生じさせる行為をしたものであり、各行為によつて、その被害法益は同種ではあるが、その都度各別にいわゆる共同危険行為による法益の侵害が行われたとみるのが相当であつて、しかも、たとえ原判示第一と同第二の各犯行の間には時間的には五分程度の間隔しかなく、被告人らの犯意に継続性が認められるとしても、上記のとおり各犯行が場所的に二キロメートル余も離れている以上、右各犯行は併合罪の関係にあると解するのが正当というべきであるから、両者が接続的な包括一罪を構成するとの所論は採用することができず、したがつて、原判決には所論がいうような罪数評価の誤りによる法令の解釈、適用の誤りはない。

なお、仮に、所論がいうように原判示第一及び第二の各所為は接続犯的な包括一罪を構成するとみるべきものであつて、原判決がこれを併合罪の関係にあるとしたのは法令の解釈適用を誤つたものであるとしても、原判決は、右のほか一個の業務上過失致死罪並びに事故の際の救護等の義務違反及び無免許運転による各道路交通法違反の罪を全体として併合罪とし、もつとも重い右業務上過失致死罪の刑に基づいて、これに法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を処断しているのであるから、右法令の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすものではないことが明らかであつて、結局論旨は理由がないといわなければならない。

控訴趣意第三について

所論は、原判決は、原判示第三の業務上過失致死の事実を判示するに当たり、注意義務違反の具体的内容として、「(本件事故現場)交差点の対面する信号機が赤色を表示しているのをその手前約一〇〇メートルの地点で認めたのであるから、このような場合自動車運転の業務に従事する者としては、同交差点直前の停止位置で停止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同交差点に到るまでの手前の交差点では先行する仲間の自動二輪車が左右道路からの車両に対して道路を閉鎖する形で阻止してくれたので信号を無視して進行して来たところから、同交差点においても同じく信号を無視しても通過できるものと軽信し、同交差点直前の停止位置で停止することなく、かえつて時速約一〇〇キロメートルに加速して同交差点に進入した過失により」と判示しているが、右の判示では、本件事故現場交差点における信号機表示に従つて停止しなかつたという注意義務違反と、先行する集団先導自動二輪車が右交差点においても横断車両等の通過を阻止してくれるので、信号を無視しても通過できるものと軽信し、このためかえつて時速一〇〇キロメートルに加速して同交差点に進入したという注意義務違反を併列的に判示しているというほかなく、如何なる注意義務違反を本件の過失と認定したのか特定を欠いているので、原判決はこの点において理由不備の違法があるというのである。

しかしながら、原判決の右判文を虚心に一読すれば、原判決は被告人が本件交差点の直前の停止位置で停止すべき業務上の注意義務を怠り、右の位置で停止することなくかえつて時速約一〇〇キロメートルに加速して同交差点に進入したことを本件事故の原因となつた過失として認定していること及び原判決が「同交差点に到るまでの手前の交差点では先行する仲間の自動二輪車が左右道路からの車両に対して道路を閉鎖する形で阻止してくれたので信号を無視して進行して来たところから、同交差点においても同じく信号を無視しても通過できるものと軽信し」と判示しているのは、前記注意義務に反するに至つた被告人の内心の動機を事情として説示したものに過ぎず、前記注意義務違反とは別個の注意義務違反として併列的に認定判示したものではないことが明白であつて、原判決の判示している過失の内容が特定を欠くとの所論は、原判決の判文を誤解し、原判決を論難するものに過ぎず、論旨は理由がない。

控訴趣意第四について

所論は、最高裁判所昭和三七年五月二日大法廷判決は、道路交通法七二条一項後段所定の報告義務は、「警察署をして、速に、交通事故の発生を知り、被害者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置を執らしめ、以つて道路における危険とこれによる被害の増大とを防止し、交通の安全を図る等のため」存在する旨判示しているが、右判決の趣旨からすれば、右報告義務は、報告が交通の安全を確保する上でもはや必要でないと判断されるときには、法的に消滅するといえる(名古屋高等裁判所金沢支部昭和三九年七月二一日判決・高等裁判所判例集一七巻五号五一〇頁)のであつて、警察当局が原判示第三の事故発生の約二分後に第三者の一一〇番通報によつて事故の発生を知つた本件においては、右報告義務は否定されるべきであるのに、右報告義務の存否を左右する右の事実を看過し、漫然被告人の報告義務違反を肯認し、道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号を適用した原判決は、事実を誤認しかつ法令の適用を誤つたものと断定せざるを得ず、右の違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで検討するのに、道路交通法七二条一項後段は、交通事故が発生した場合に、当該車両の運転者に対して同条所定の事項を警察官に報告すべき義務を課し、運転者をして確実に右義務を履行させ、それにより負傷者の救護や現場における危険の防止等の措置に万全を図ろうとするものであるところ、被告人は事故後直ちに現場から立ち去り、立ち去るに際し、第三者が既に警察官に対して事故の報告をし、これによつて負傷者の救護や現場道路における危険の防止等の措置がとられ、最早被告人から重ねて報告をしても意味がない状態に立ち至つたものと認識していたとは到底認められないから、所論の主張するように第三者から事故の報告がなされた事実があるからといつて、それだけで被告人の報告義務は消滅しないと解すべきであつて、被告人の右報告義務違反を肯認し、これに道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号を適用した原判決には事実の誤認も法令適用の誤りも存しない。なお、所論指摘の名古屋高等裁判所金沢支部昭和三九年七月二一日判決は、交通事故を起こした運転者自身が、事故の結果頭部その他に重傷を負つて失神状態に陥り、そのまま病院に収容されて昏睡または呻吟を続け、その間事故報告義務を自覚することすら不可能な状態にあり、入院後二、三日を経過したころから小康を得て、他人を介せば右事故報告をなし得る状態になつたが、そのころには、事故による負傷者らはすでに救護され、かつその事故により乱された交通秩序は完全に回復し、したがつて道路交通法七二条二項及び三項による警察官関与の必要性が客観的に失われていた事例について、警察官関与の必要性が客観的に失われた後は報告義務は消滅する旨判示したものであるのに対し、本件においては、事故を起こした被告人はそのまま自宅に逃げ帰り、事故直後に被告人と関係のない第三者が警察官に事故を報告したというのであるから、前示事件は本件と全く事案の内容を異にし、本件には適切でない。

控訴趣意第五について

所論は、刑法五四条一項前段にいう一個の行為とは、最高裁判所昭和四九年五月二九日大法廷判決が判示しているとおり、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の態度が社会的見解上一個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきところ、原判示第五の無免許運転と同第三の業務上過失致死とは、特定の自動車の運転行為を共通の基礎にし、無資格運転とその運転行為の一時点における不注意による加害であつて、注意義務違反の運転は、自然的観察のもとで行為者の動態が社会的見解上無資格運転と一個のものと評価されるべき場合であるから、両者は刑法五四条一項前段の一所為数法の関係にあるにもかかわらず、両者を刑法四五条前段の併合罪の関係にあるとした原判決は、罪数評価に関する実体法の解釈適用を誤つたものといわなければならず、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

しかしながら、本件の場合のように、時間的継続と場所的移動を伴う自動車の運転中人身事故を発生させた場合は、人身事故を発生させた行為はその運転継続中における一時点一場所における事象であり、無免許で自動車を運転する行為とその運転継続中過失により人身事故を惹起する行為とは、構成要件的評価を捨象した自然的観察のもとにおいても社会的見解上別個のものと評価すべきであつて、これを一個のものとみることはできないから、両者は併合罪の関係にあるものと解するのが相当であつて、原判決に所論のような法令適用の誤りは存しないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第六について

所論は、原判決が量刑理由の説示に当たり、「その行為の態様」を被告人に不利益な情状として挙げているところによると、原判決は、本件業務上過失致死罪について、被告人が交通信号を無視し、時速約一〇〇キロメートルに加速して交差点に進入したことを量刑上考慮していることが明らかであるが、右信号無視と制限速度違反の各道路交通法違反の事実はいずれも本件公訴事実に含まれていないのであつて、原判決は起訴されていない余罪を実質上処罰する趣旨で右各違反の事実を量刑上考慮したと断定せざるを得ないから、原判決は刑事訴訟の基本原理である不告不理の原則に反し、法律の定める手続によらずして被告人に刑罰を科したとの謗りを免れることができず、結局原判決には審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるか、または、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。

しかしながら、量刑に当たつて、審判の対象とされた犯罪事実につき、その犯行の態様を考慮に入れることは当然のことであつて、原判決が被告人の赤色信号無視や時速一〇〇キロメートルの高速度による交差点への進入の事実を判示したのも、起訴にかかる本件業務上過失致死の犯行の態様を明らかにした趣旨に過ぎないことは、判文上明らかであるから、原判決がそれを考慮に入れたからといつて、起訴されていない所論指摘の道路交通法違反の各事実を事実上罪となるべき事実として認定し、右事実をも併せて処罰したものであるとはいわれず、原判決に所論のような違法はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第七について

所論は、原判決の量刑不当を主張するので、訴訟記録並びに原審及び当審で取り調べた証拠によつて検討するのに、被告人は、昭和五四年三月酒に酔つて普通乗用自動車を運転したかどで、同年六月罰金刑に処せられるとともに、運転免許取消の行政処分を受けたものであるが、その後三か月を経たばかりの原判示の日の午前一時ころ、自ら普通乗用自動車を運転し、暴走族「毘沙門天」の仲間とともに都内世田谷区の駒沢公園を出発したのち、甲州街道上において集団により交通秩序を無視する暴走行為を敢行し、その集団の一員として原判示第一、第二の場所でそれぞれ同判示のいわゆる共同危険行為を敢えてしたばかりでなく、原判示第三の交差点では、信号を無視し、高速度で交差点内に進入するという重大な過失により、青色信号に従つて左方道路から同交差点内に進入してきた被害車両に自車を衝突させ、その結果年齢も未だ二二歳の春秋に富む被害者を一方的な過失により死亡させたうえ、重大な人身事故を起こしたことを認識しながらそのまま現場から逃走したもので、原判示各道路交通法違反の罪の動機及び態様並びに業務上過失致死罪における過失の態様及び結果などいずれの点からみても、被告人の本件犯行は強い社会的非難に値する事犯というほかなく、その責任は余りにも重大であつて、本件犯行当時被告人が少年であつたこと、被告人が犯後反省していること、業務上過失致死罪の被害者の遺族との間に示談が成立していること、その他所論の指摘する被告人に有利ないしは同情すべき事情を総て斟酌し、また、原判決の「被告人の日記によれば、事故二か月余にして父親の経営するカントリークラブでゴルフを楽しみ始める有様で、被害者の遺族や婚約者に対する被告人の心情は如何なる程度のものか知り難い」との説示に対し、所論が原判決は被告人や関係者の心情を正しく理解していないと論難し、被告人の被害者の遺族や婚約者に対する哀悼の念にはいささかのゆるぎもないと主張している点について、被告人の右哀悼の念が所論主張の如きものであるとしても、本件につき被告人を懲役二年六月に処した原判決の量刑はやむを得ないものと判断され、重過ぎて不当であるといえないから、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中三〇日を原判決の刑に算入することとして、注文のとおり判決をする。

(裁判官 四ツ谷巌 杉浦龍二郎 阿蘇成人)

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